■「NHK-BS放送」に「地球イチバン」という番組があります。
2週間位前に【世界で一番 大きいお金 ~ ヤップ島】という番組を放送していました。
ほとんどの方はお金が好きですし、私も大好きです。
世界で一番高額なお金ではなく、「世界で一番大きいお金」というところが要点です。
私は、28歳の時=今から38年前にこの「世界で一番 大きいお金 ~ ヤップ島」
へ、友人と2人で行ったことがあります。
番組の映像を見ると、ヤップ島は大規模開発がされてなく、昔の状態が残っている様子
なので紹介いたします。
■グアム島から、「コンチネンタル エア マイクロネシア」に乗って、太平洋を南西方向へ
飛行しました。
機体は、ボーイング727で前の半分が貨物室で後の半分が客室です。

スチワーデスは、現地の方でしょうか?

約1時間30分飛行して、着陸態勢へはいりました。

ヤップ空港です。 屋根は「ヤシの葉っぱ」で葺かれた木造でした。

機体の後部に取り付けのタラップを下ろして、乗客を降ろします。

飛行便は、2便/週です。 発着時間は、南国特有の夕方のスコールのある時間帯です。
スコールがひどい時は、飛行機が離着陸できないのでパスしてパラオに行ってしまいます。

当時、ホテルは2軒だけで、その内のひとつに宿泊しました。

レンタカーを借りて、島を巡りました。 三菱ランサー・マニュアルの左ハンドル車です。
速度計はマイル、ガソリン量はガロンの単位だということを初めて知りました。

■シャングルの中の集落の家の前に「世界で一番 大きいお金」が置いてありました。
石貨(石の貨幣)です。 島内には、数千個あるそうです。

石貨は、中央に穴が空いています。

あちこちに石貨がありました。


石貨の石は、ヤップ島からは産出しないので、バラオから小舟で運んだそうです。

ヤップ島の日常の生活の通貨は、US$ですが、「石貨」も使用されているそうです。
その使用方法とは、「人の命が失われた時の罪を償うお詫び」等に使用されるとのこと。
昔、集落がたくさん存在し、集落どうしの争い事が絶えなかったそうです。
石貨の中央に穴が空いており、ここに丸太を突っ込んで運ぶこともできるのですが、
なにせ重いために運搬が難しい ・・・・・・ 所有権の移転のみするそうです。
■ヤップ島の町の中心部は、こんな感じでした。


■町に住む島民の状況は、こんな感じでした。
男性の半数はふんどし姿。 このおじさんは、「コンニチワ」と声をかけてくれました。
第二次世界大戦の敗戦までは、日本が統治していました。
(それ以前はドイツ、その前はスペインが統治していました)

若い母親もトップレス。

子供がタイヤの上で遊んでいました。

食堂の前にも、フンドシのオジサン。

銀行は、「バンク オブ ハワイ」

■少し、ジャングルに行くとこんな感じでした。

腰ミノを付けたトップレスの女性。 タロイモを掘りにいったのかな?

■子供たちの無邪気な様子です。



(この子達は、今どうしているのだろう?)
■ヤップ島でびっくりしたこと。
〇空港のすぐ近くの草原に第二次世界大戦で使用した「戦闘機」の残骸がありました。
エンジンはありませんでしたが、機体は朽ち果てずによく残っていました。
主翼の上に乗り、飛び跳ねてみました。 構造的にとてもよくできており、
戦前の日本の加工技術の高さに驚きました。
靖国神社の博物館に「ゼロ戦」が展示されていますが、この機体は「ヤップ島」と
ラバウルから引き揚げた損傷機体を元に復元したそうです。
私が主翼の上に乗り、飛び跳ねてみた機体もゼロ戦だったかもしれません。
〇湾内には、沈没した貨物船の残骸が半分姿を現していました。
戦争の傷後を感じました。
〇湾内に「マングローブ」の森、草原に「食虫植物」が自生しており、道の傍の
花が咲いている樹木にとても「大きなコウモリ」がぶら下がっていました。
図鑑でなく本物を初めてみて感激しました。
〇ヤップ島には、過去文字がありませんでしたので、記録が残っていません。
南山大学(名古屋)の学生と教授が発掘・学術調査をしていました。
こんな辺ぴな熱帯のジャングルで遺跡や墓を掘って研究しているなんて
頭が下がりました。
〇帰路、ヤップ空港から飛行機が離陸する時のことです。
飛行機は、滑走路の端近くから、滑走路の端に向けてエンジンをふかして助走
しました。 そのまま直進すれば、滑走路から脱落してしまいます。
あっ! 危ないと思った瞬間に、飛行機はくるっと向きを反対方向へ転回し
エンジンをいっぱいに噴射し、辛うじて離陸しました。
離陸した時、機体とヤシの木の距離はあまりありませんでした。
ヘエ~! 今だかって、この様な離陸方法は初めてです。
乗客の数名は、オーバーブッキングで搭乗できませんでしたし、貨物を一杯搭載
していたのでしょうね。 熱帯の暑い空気の環境で離陸する時は、飛行機の揚力が
低下するという条件も重なっていたのでしょう。
最後に・・・・大きいお金より、高額のお金の方が良いなあ!
2週間位前に【世界で一番 大きいお金 ~ ヤップ島】という番組を放送していました。
ほとんどの方はお金が好きですし、私も大好きです。
世界で一番高額なお金ではなく、「世界で一番大きいお金」というところが要点です。
私は、28歳の時=今から38年前にこの「世界で一番 大きいお金 ~ ヤップ島」
へ、友人と2人で行ったことがあります。
番組の映像を見ると、ヤップ島は大規模開発がされてなく、昔の状態が残っている様子
なので紹介いたします。
■グアム島から、「コンチネンタル エア マイクロネシア」に乗って、太平洋を南西方向へ
飛行しました。
機体は、ボーイング727で前の半分が貨物室で後の半分が客室です。

スチワーデスは、現地の方でしょうか?

約1時間30分飛行して、着陸態勢へはいりました。

ヤップ空港です。 屋根は「ヤシの葉っぱ」で葺かれた木造でした。

機体の後部に取り付けのタラップを下ろして、乗客を降ろします。

飛行便は、2便/週です。 発着時間は、南国特有の夕方のスコールのある時間帯です。
スコールがひどい時は、飛行機が離着陸できないのでパスしてパラオに行ってしまいます。

当時、ホテルは2軒だけで、その内のひとつに宿泊しました。

レンタカーを借りて、島を巡りました。 三菱ランサー・マニュアルの左ハンドル車です。
速度計はマイル、ガソリン量はガロンの単位だということを初めて知りました。

■シャングルの中の集落の家の前に「世界で一番 大きいお金」が置いてありました。
石貨(石の貨幣)です。 島内には、数千個あるそうです。

石貨は、中央に穴が空いています。

あちこちに石貨がありました。


石貨の石は、ヤップ島からは産出しないので、バラオから小舟で運んだそうです。

ヤップ島の日常の生活の通貨は、US$ですが、「石貨」も使用されているそうです。
その使用方法とは、「人の命が失われた時の罪を償うお詫び」等に使用されるとのこと。
昔、集落がたくさん存在し、集落どうしの争い事が絶えなかったそうです。
石貨の中央に穴が空いており、ここに丸太を突っ込んで運ぶこともできるのですが、
なにせ重いために運搬が難しい ・・・・・・ 所有権の移転のみするそうです。
■ヤップ島の町の中心部は、こんな感じでした。


■町に住む島民の状況は、こんな感じでした。
男性の半数はふんどし姿。 このおじさんは、「コンニチワ」と声をかけてくれました。
第二次世界大戦の敗戦までは、日本が統治していました。
(それ以前はドイツ、その前はスペインが統治していました)

若い母親もトップレス。

子供がタイヤの上で遊んでいました。

食堂の前にも、フンドシのオジサン。

銀行は、「バンク オブ ハワイ」

■少し、ジャングルに行くとこんな感じでした。

腰ミノを付けたトップレスの女性。 タロイモを掘りにいったのかな?

■子供たちの無邪気な様子です。



(この子達は、今どうしているのだろう?)
■ヤップ島でびっくりしたこと。
〇空港のすぐ近くの草原に第二次世界大戦で使用した「戦闘機」の残骸がありました。
エンジンはありませんでしたが、機体は朽ち果てずによく残っていました。
主翼の上に乗り、飛び跳ねてみました。 構造的にとてもよくできており、
戦前の日本の加工技術の高さに驚きました。
靖国神社の博物館に「ゼロ戦」が展示されていますが、この機体は「ヤップ島」と
ラバウルから引き揚げた損傷機体を元に復元したそうです。
私が主翼の上に乗り、飛び跳ねてみた機体もゼロ戦だったかもしれません。
〇湾内には、沈没した貨物船の残骸が半分姿を現していました。
戦争の傷後を感じました。
〇湾内に「マングローブ」の森、草原に「食虫植物」が自生しており、道の傍の
花が咲いている樹木にとても「大きなコウモリ」がぶら下がっていました。
図鑑でなく本物を初めてみて感激しました。
〇ヤップ島には、過去文字がありませんでしたので、記録が残っていません。
南山大学(名古屋)の学生と教授が発掘・学術調査をしていました。
こんな辺ぴな熱帯のジャングルで遺跡や墓を掘って研究しているなんて
頭が下がりました。
〇帰路、ヤップ空港から飛行機が離陸する時のことです。
飛行機は、滑走路の端近くから、滑走路の端に向けてエンジンをふかして助走
しました。 そのまま直進すれば、滑走路から脱落してしまいます。
あっ! 危ないと思った瞬間に、飛行機はくるっと向きを反対方向へ転回し
エンジンをいっぱいに噴射し、辛うじて離陸しました。
離陸した時、機体とヤシの木の距離はあまりありませんでした。
ヘエ~! 今だかって、この様な離陸方法は初めてです。
乗客の数名は、オーバーブッキングで搭乗できませんでしたし、貨物を一杯搭載
していたのでしょうね。 熱帯の暑い空気の環境で離陸する時は、飛行機の揚力が
低下するという条件も重なっていたのでしょう。
最後に・・・・大きいお金より、高額のお金の方が良いなあ!
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■パート仲間の I 氏の自宅の近くに戦国武将「筒井順慶の墓」があると聞きましたので、
ママチャリで行くことにしました。
途中、法隆寺に立ち寄りました。 西大門です。

ママチャリは、昨日バンクの修理を終えたばかりです。
後輪のチューブには、8ヶ所のバッチを貼って修理していますので、またいつバンクするか
心配なので、荷台に「空気入れ」を積んでいます。

東大門から、夢殿方面です。 天気が良いので観光客がたくさん訪れています。

次は、法起寺に向かいます。 遠くに法隆寺の五重塔が見えます。

法起寺は、コスモスの花が涸れていました。

■国道25号線の近鉄「筒井駅」から南に下り、「平端駅」の北踏切のすぐ東に
戦国武将:筒井順慶の墓所がありました。



五輪塔の覆堂です。

戦国武将「筒井順慶」には、ふたつのあまり好ましくない「ことわざ」が残されています。
①羽柴秀吉と明智光秀が「山崎の戦い」で対待した際、筒井順慶が「洞ヶ峠」で見物して
いたことから、日和見主義をとることを「洞ヶ峠を決め込む」というようになったそうです。
②順慶の父:順昭が早く死んだ為、順慶は2歳で家督を継承しましたたが、しばらくは
父:順昭が死んだことがばれないように、順昭そっくりの坊さんである「木阿弥」と
いう人が順昭の影武者を担当しておったそうです。 その坊さんは、殿様としての待遇を
受けていたそうですが、順慶が成長すると「用済み」になってただの坊さんの身分に
戻されてしまったということから、「元の木阿弥」という言葉が生まれたそうです。
この様に好ましくないことわざが残されていますが、順慶は能、茶道、和歌など文化に造詣
が深く、かなりのインテリであったことが残された史料から判明しているそうです。
若い時は、宿敵:松永久秀との戦いに明け暮れ、その後は豊臣秀吉に臣従しましたが
人使いの荒い秀吉は、筒井順慶を酷使しまくりました。
その結果、順慶はわずか2年後にぶっ倒れて「過労死」してしまった。
ストレスと過労死 → → → 享年36歳だったそうです。
なんだか、現在の「サラリーマンに似た境遇」であり、私は心が惹かれます。
ママチャリで行くことにしました。
途中、法隆寺に立ち寄りました。 西大門です。

ママチャリは、昨日バンクの修理を終えたばかりです。
後輪のチューブには、8ヶ所のバッチを貼って修理していますので、またいつバンクするか
心配なので、荷台に「空気入れ」を積んでいます。

東大門から、夢殿方面です。 天気が良いので観光客がたくさん訪れています。

次は、法起寺に向かいます。 遠くに法隆寺の五重塔が見えます。

法起寺は、コスモスの花が涸れていました。

■国道25号線の近鉄「筒井駅」から南に下り、「平端駅」の北踏切のすぐ東に
戦国武将:筒井順慶の墓所がありました。



五輪塔の覆堂です。

戦国武将「筒井順慶」には、ふたつのあまり好ましくない「ことわざ」が残されています。
①羽柴秀吉と明智光秀が「山崎の戦い」で対待した際、筒井順慶が「洞ヶ峠」で見物して
いたことから、日和見主義をとることを「洞ヶ峠を決め込む」というようになったそうです。
②順慶の父:順昭が早く死んだ為、順慶は2歳で家督を継承しましたたが、しばらくは
父:順昭が死んだことがばれないように、順昭そっくりの坊さんである「木阿弥」と
いう人が順昭の影武者を担当しておったそうです。 その坊さんは、殿様としての待遇を
受けていたそうですが、順慶が成長すると「用済み」になってただの坊さんの身分に
戻されてしまったということから、「元の木阿弥」という言葉が生まれたそうです。
この様に好ましくないことわざが残されていますが、順慶は能、茶道、和歌など文化に造詣
が深く、かなりのインテリであったことが残された史料から判明しているそうです。
若い時は、宿敵:松永久秀との戦いに明け暮れ、その後は豊臣秀吉に臣従しましたが
人使いの荒い秀吉は、筒井順慶を酷使しまくりました。
その結果、順慶はわずか2年後にぶっ倒れて「過労死」してしまった。
ストレスと過労死 → → → 享年36歳だったそうです。
なんだか、現在の「サラリーマンに似た境遇」であり、私は心が惹かれます。
■1週間前に安価な「アンドロイド・タブレット」を購入しました。 (7インチ画面)

本来は、5,980円の「わけあり」タブレットを購入する予定でしたが、手にとって
確認してみると、画面が暗いので少しランクを上げて「これ」にしました。
価格は少し高くなりましたが、それでも多機能なので、ほんとに「びっくり」です。
それに、「16GB」のMicro SDHCカードを特売の1,380円で購入!
■通信の方法は、自宅の「無線ルーター」と「WI-FI」で繋ぎます。
通信費を「ゼロ」にする為です。
現在、「パソコン」と「プリンタ」はWI-FIで無線ルーターと繋がっています。

■タブレットを起動しました ・・・・・ 「ホーム画面」です。
Micro USBコネクタ、 Mini HDMIコネクタ、 Micro SDスロット、
マイク、スピーカー、カメラ(30万画素のインカメラ)も付いています。

「アプリケーション画面」の一部てす。

「ギャラリー」にもたくさんのデータを入れました。 ギャラリー画面の一部です。

■そして、「WI-FI」の設定を無線ルーターの説明書に従って行いました。
「AOSS」ボタンを利用してAOSSキーを設定します。

ところが、最後のインターネット接続の画面で、「セキュリテイ警告」→ 「このサイトの
セキュリティ証明書には問題があります。」と表示されます。

さあ、困ったぞ! タブレットの本体をリセットして何度も試みましたが、
やはり、「セキュリテイ警告」が発生して、インターネットに繋がりません。
困ったあ~!
■本日、タブレットを購入した量販店に行き、店員さんへ相談しました。
説明する際に、タブレット内の「スクリーンショット」に保存した表示データを示しました。
【アドバイス】は、次のとおりでした。
・バッファローさんの無線ルーターは、時々AOSS機能で設定できない場合がある。
・「Air Stationセットアップカード」の裏面に印刷された「暗号化キー」で
「手動」で設定してみてください。 ・・・ とのことでした。

■自宅に帰って、「手動」で設定を試みました。
成功です。 すぐに繋がりました。

もちろん、私のブログも見ることが出来ました。

【反省と言い訳】
・「Air Stationセットアップカード」のコードは大切なものです。
失わない様に、セロテープで2ヶ所を張り付けていましたので、
裏にもキーが印刷されていることをすっかり忘れていました。
・若かったら、気がついていたかもしれないなあ ・・・・・
【今後の活用】
・自宅で、必要なデータをダウンロードをして、外出時に活用する。
併せて、ペーパーレス化。
・外出先の飲食店街や駅、空港にはWI-FIが使えるフリースポットがあるので
利用してみる。 (電池の動作時間:約2時間が制約)
まあ! ボケ防止ですね!
最後に・・・・・このタブレットの製造は、中国ですが、メーカーは「韓国」です。
日韓友好に少し貢献しました。

本来は、5,980円の「わけあり」タブレットを購入する予定でしたが、手にとって
確認してみると、画面が暗いので少しランクを上げて「これ」にしました。
価格は少し高くなりましたが、それでも多機能なので、ほんとに「びっくり」です。
それに、「16GB」のMicro SDHCカードを特売の1,380円で購入!
■通信の方法は、自宅の「無線ルーター」と「WI-FI」で繋ぎます。
通信費を「ゼロ」にする為です。
現在、「パソコン」と「プリンタ」はWI-FIで無線ルーターと繋がっています。

■タブレットを起動しました ・・・・・ 「ホーム画面」です。
Micro USBコネクタ、 Mini HDMIコネクタ、 Micro SDスロット、
マイク、スピーカー、カメラ(30万画素のインカメラ)も付いています。

「アプリケーション画面」の一部てす。

「ギャラリー」にもたくさんのデータを入れました。 ギャラリー画面の一部です。

■そして、「WI-FI」の設定を無線ルーターの説明書に従って行いました。
「AOSS」ボタンを利用してAOSSキーを設定します。

ところが、最後のインターネット接続の画面で、「セキュリテイ警告」→ 「このサイトの
セキュリティ証明書には問題があります。」と表示されます。

さあ、困ったぞ! タブレットの本体をリセットして何度も試みましたが、
やはり、「セキュリテイ警告」が発生して、インターネットに繋がりません。
困ったあ~!
■本日、タブレットを購入した量販店に行き、店員さんへ相談しました。
説明する際に、タブレット内の「スクリーンショット」に保存した表示データを示しました。
【アドバイス】は、次のとおりでした。
・バッファローさんの無線ルーターは、時々AOSS機能で設定できない場合がある。
・「Air Stationセットアップカード」の裏面に印刷された「暗号化キー」で
「手動」で設定してみてください。 ・・・ とのことでした。

■自宅に帰って、「手動」で設定を試みました。
成功です。 すぐに繋がりました。

もちろん、私のブログも見ることが出来ました。

【反省と言い訳】
・「Air Stationセットアップカード」のコードは大切なものです。
失わない様に、セロテープで2ヶ所を張り付けていましたので、
裏にもキーが印刷されていることをすっかり忘れていました。
・若かったら、気がついていたかもしれないなあ ・・・・・
【今後の活用】
・自宅で、必要なデータをダウンロードをして、外出時に活用する。
併せて、ペーパーレス化。
・外出先の飲食店街や駅、空港にはWI-FIが使えるフリースポットがあるので
利用してみる。 (電池の動作時間:約2時間が制約)
まあ! ボケ防止ですね!
最後に・・・・・このタブレットの製造は、中国ですが、メーカーは「韓国」です。
日韓友好に少し貢献しました。
■山の仲間14名で、京都府南部の木津川と「笠置山」周辺を巡りました。
JR関西本線の笠置駅に到着しました。

車両は、「ジーゼルカー」2両を連結していました。
駅には、ICカードで運賃を精算できる端末はありませんので、乗車時に降車駅までの
切符を購入しておかないと、後から面倒な処理が必要となります。

駅前の広場は、「太平記・弘元の乱」の「笠置合戦」の人形や絵巻の絵がありました。

■木津川沿いの東海自然歩道を歩いています。


布目川を遡行して、「甌穴群」(ポットホール)を探しましたが、それらしき形跡は
見つかりませんでした。

登山口まで戻り、急峻な登山道を登りました。
途中、土砂崩れで道が切れていましたが、その部分を迂回して「笠置山三角点」を
めざしました。

ゴルフ場の側を通過し、林の中の起伏のない「三角点」に到着しました。

昼食は、ビールも加わりました。

■「笠置寺」に到着しました。 入山料を払うとお寺の方から是非に「説明しましょう」と
提案がありましたので、説明のお願いをしました。 とても上手な説明でした。

弥生時代から「巨岩の信仰」があったそうです。

鎌倉時代は、笠置山全体が宗教の山、信仰の山として全盛を極めた時であったそうです。

しかし、元弘元年(1331年)倒幕計画に失敗した後醍醐天皇を笠置寺に迎えていた
ことにより、攻防一ヶ月 ・・・・・ ついに笠置山は 「全山焼亡」 しました。

境内を巡りました。

中央は木津川・・・・右の斜面を登って笠置山へ達しました。

境内の紅葉巡りをしました。



JR関西本線・笠置駅の陸橋から笠置山を望んでいます。

予想外の体験ができて、「満足、満足」でした。
JR関西本線の笠置駅に到着しました。

車両は、「ジーゼルカー」2両を連結していました。
駅には、ICカードで運賃を精算できる端末はありませんので、乗車時に降車駅までの
切符を購入しておかないと、後から面倒な処理が必要となります。

駅前の広場は、「太平記・弘元の乱」の「笠置合戦」の人形や絵巻の絵がありました。

■木津川沿いの東海自然歩道を歩いています。


布目川を遡行して、「甌穴群」(ポットホール)を探しましたが、それらしき形跡は
見つかりませんでした。

登山口まで戻り、急峻な登山道を登りました。
途中、土砂崩れで道が切れていましたが、その部分を迂回して「笠置山三角点」を
めざしました。

ゴルフ場の側を通過し、林の中の起伏のない「三角点」に到着しました。

昼食は、ビールも加わりました。

■「笠置寺」に到着しました。 入山料を払うとお寺の方から是非に「説明しましょう」と
提案がありましたので、説明のお願いをしました。 とても上手な説明でした。

弥生時代から「巨岩の信仰」があったそうです。

鎌倉時代は、笠置山全体が宗教の山、信仰の山として全盛を極めた時であったそうです。

しかし、元弘元年(1331年)倒幕計画に失敗した後醍醐天皇を笠置寺に迎えていた
ことにより、攻防一ヶ月 ・・・・・ ついに笠置山は 「全山焼亡」 しました。

境内を巡りました。

中央は木津川・・・・右の斜面を登って笠置山へ達しました。

境内の紅葉巡りをしました。



JR関西本線・笠置駅の陸橋から笠置山を望んでいます。

予想外の体験ができて、「満足、満足」でした。
■山の仲間のO氏が「アイリッシュ パブ」で、「セッション」を行うとのこと。
面白そうので仲間と行ってみました。
場所は、大阪市内の長堀橋から心斎橋へ行く途中の雑居ビルの6Fでした。
室内は、窓がどこにあるのか判らなく、アイルランドの居酒屋風の装飾がされていました。
(私は、アイルランドはもちろん、アイリッシュパブにも行った経験がありませんが・・・)
「アイリッシュパブ」は、天井が低く、窓の少ない、または小さいパブが多い理由は、
イギリス政府によるアイルランドの建物に対する税金を避けるためであったらしいです。
■アイリッシュパブといえば、当然「ギネスビール」です。
楽器は、「バッグパイプ」、「バイオリン」、「アコーディオン」などです。

O氏のアコーディオンを含めた「セッション」が始まりました。
セッション (英:session)とは、開会・集会などを意味する英語。 複数のミュージシャンが
共に演奏すること。 一度きりのものなど、継続的でないものを指すことが多い。
曲は、「アイリッシュダンス」や「バッグパイプ」の曲の旋律を繰り返すというもの・・・

注文した、ポテトとソーセージも出てきました。
ソーセージは、すごく辛い! 他の人が"辛い"と食べなかったので私が食べました。

pm9時近くになると、「バイオリン」を持参した人が次々に来店し、「ギネスビール」や
「アイリッシュ ウイスキー」を注文して、「セッション」に加わりました。
バイオリンが一番多くて10名以上となりました。
お客様が、飲み物を注文して「演奏者」になり、雰囲気を楽しんでいる様です。

フーン! 面白いところがあるものですネ~
英語と楽器の双方とも出来ない私は、「ちょっと 気後れしました」
面白そうので仲間と行ってみました。
場所は、大阪市内の長堀橋から心斎橋へ行く途中の雑居ビルの6Fでした。
室内は、窓がどこにあるのか判らなく、アイルランドの居酒屋風の装飾がされていました。
(私は、アイルランドはもちろん、アイリッシュパブにも行った経験がありませんが・・・)
「アイリッシュパブ」は、天井が低く、窓の少ない、または小さいパブが多い理由は、
イギリス政府によるアイルランドの建物に対する税金を避けるためであったらしいです。
■アイリッシュパブといえば、当然「ギネスビール」です。
楽器は、「バッグパイプ」、「バイオリン」、「アコーディオン」などです。

O氏のアコーディオンを含めた「セッション」が始まりました。
セッション (英:session)とは、開会・集会などを意味する英語。 複数のミュージシャンが
共に演奏すること。 一度きりのものなど、継続的でないものを指すことが多い。
曲は、「アイリッシュダンス」や「バッグパイプ」の曲の旋律を繰り返すというもの・・・

注文した、ポテトとソーセージも出てきました。
ソーセージは、すごく辛い! 他の人が"辛い"と食べなかったので私が食べました。

pm9時近くになると、「バイオリン」を持参した人が次々に来店し、「ギネスビール」や
「アイリッシュ ウイスキー」を注文して、「セッション」に加わりました。
バイオリンが一番多くて10名以上となりました。
お客様が、飲み物を注文して「演奏者」になり、雰囲気を楽しんでいる様です。

フーン! 面白いところがあるものですネ~
英語と楽器の双方とも出来ない私は、「ちょっと 気後れしました」
■Windows8のパソコンを使い始めて約半年近くになります。
Windows8のパソコンは、発売されて1年たちますが、従来のWindowsXP 、
Vista 、7 とは、操作がかなり異なりますので、手間取っていました。
10月にWindowsの最新バージョンである「Windows8・1」が公開されました
ので、私も最新の「Windows8・1」へアップデートすることにしました。
【Windows8】のデスクトップ画面です。

【Windows8】のスタート画面です。

タブレット機能もWindows8から採用されて、便利になっていますが、従来の操作と
あまりにも変わり過ぎていますので、やはり手間取っていました。

アップデートは、「ストア」の画面からインストールします。

途中、「アカウント」を要求されて、かなり時間がかかりましたが、なんとか
無事にアップデートの完了が近づいてきました。

無事にアップデートが終了しました。
【Windows8・1】のスタート画面です。 背景に青い虹が追加されました。

【Windows8・1】では、デスクトップ画面に「スタートボタン」が復活しました。

デスクトップ画面のスタートボタンを左クリックすると、スタート画へ移行し、
右クリックすると下記の様な「メニュー」が表示されます。

ほんの、一例ですが・・・・・・
アップデートする前は、「コントロールパネル」を探し出すだけでも大変でしたが、
かなり楽になりましたです。 ハイ!
Windows8のパソコンは、発売されて1年たちますが、従来のWindowsXP 、
Vista 、7 とは、操作がかなり異なりますので、手間取っていました。
10月にWindowsの最新バージョンである「Windows8・1」が公開されました
ので、私も最新の「Windows8・1」へアップデートすることにしました。
【Windows8】のデスクトップ画面です。

【Windows8】のスタート画面です。

タブレット機能もWindows8から採用されて、便利になっていますが、従来の操作と
あまりにも変わり過ぎていますので、やはり手間取っていました。

アップデートは、「ストア」の画面からインストールします。

途中、「アカウント」を要求されて、かなり時間がかかりましたが、なんとか
無事にアップデートの完了が近づいてきました。

無事にアップデートが終了しました。
【Windows8・1】のスタート画面です。 背景に青い虹が追加されました。

【Windows8・1】では、デスクトップ画面に「スタートボタン」が復活しました。

デスクトップ画面のスタートボタンを左クリックすると、スタート画へ移行し、
右クリックすると下記の様な「メニュー」が表示されます。

ほんの、一例ですが・・・・・・
アップデートする前は、「コントロールパネル」を探し出すだけでも大変でしたが、
かなり楽になりましたです。 ハイ!
■Nさんに誘われて、山歩きをしました。
JR奈良前に到着しました。

奈良市内循環バスに乗り、「国立奈良博物館」の前を通過しています。
現在、「正倉院展」を開催していますので、朝から大人気です。
入館待ちするのに、300m近く人の列ができていました。

「破石町バス停」で下車して、「志賀直哉旧宅」前を歩いています。

近くの小広場では、鹿が草を食んでいました。 紅葉も色付き始めています。

ここから、「柳生街道(滝坂の道)」が始まります。
春日山と高円山の谷合で、渓流に沿った石畳道が連なっています。
奈良の街と柳生を結ぶ近道として、「柳生街道」と呼ばれています。
江戸時代初期に当時の奈良奉行が、作らせたということで、昔は、人の往来や
馬での物資の輸送、剣豪たちの往来が多かったそうです。
現在は通る人もほとんど無く忘れ去られようとしており、昼なお暗い樹林の中に
苔蒸した石仏が点在しています。


荒木又右エ門が試し切りしたとのことですが、作風から推察すると鎌倉時代のものとか

「峠の茶屋」を通り過ぎました。

八柱神社の横の山道を行くと立派な石仏の「二面観音」があると聞いていましたので、
探しに行きました。 芳山(ほやま)の頂上を含め周辺を1時間位かけて、探し
歩き回りましたが、この石仏しか発見できませんでした。

後で、近くの集落の人に聞いたところ、猪除けの鉄作の扉を開けて、さらに進むと
右手の林の中にあるそうです。 私達も鉄作の扉の先にあるのではと思っていましたが、
鉄作の扉の内側に鉄の杭が打ち込んであり、開けることが出来ませんでした。
■遅い昼食(弁当)を食べて、奥山ドライブウェイまで、引き返しました。
「春日山石窟仏」です。

ここから、「春日山原始林」の中を歩いて「若草山」の頂上へ向かいます。
途中にある「鶯の滝」へ立ち寄りました。

滝に寄り道すると、高度を下げて、又登るので結構疲れました。
「若草山」の頂上「3重目」へ到着しました。 若草山は、麓から見えるのが、
一重目であり、その奥に「二重目」があり、その又奥が、最頂上の「3重目」です。
眼下は、奈良平野です。

すぐ先の山が、先ほど歩いて来た「春日山原始林」です。

若草山の二重目より、右下が「東大寺の大屋根」、遠くに「生駒山」です。

若草山の下部からの眺めです。 「東大寺」が近くになりました。

奈良公園に17時過ぎに到着しました。 左が若草山です。
夕暮れに近いのですが、外国人を含めた観光客がたくさんいました。

■JR奈良駅近くの鮮魚専門の「居酒屋」でNさんとビールで乾杯!
Nさんは、来週知人を今日歩いたコースを基本にガイドするそうです。
私は本日、調査のお付き合いをした訳で、代金はNさんがおごってくれました。
Nさん! ありがとう!
JR奈良前に到着しました。

奈良市内循環バスに乗り、「国立奈良博物館」の前を通過しています。
現在、「正倉院展」を開催していますので、朝から大人気です。
入館待ちするのに、300m近く人の列ができていました。

「破石町バス停」で下車して、「志賀直哉旧宅」前を歩いています。

近くの小広場では、鹿が草を食んでいました。 紅葉も色付き始めています。

ここから、「柳生街道(滝坂の道)」が始まります。
春日山と高円山の谷合で、渓流に沿った石畳道が連なっています。
奈良の街と柳生を結ぶ近道として、「柳生街道」と呼ばれています。
江戸時代初期に当時の奈良奉行が、作らせたということで、昔は、人の往来や
馬での物資の輸送、剣豪たちの往来が多かったそうです。
現在は通る人もほとんど無く忘れ去られようとしており、昼なお暗い樹林の中に
苔蒸した石仏が点在しています。


荒木又右エ門が試し切りしたとのことですが、作風から推察すると鎌倉時代のものとか

「峠の茶屋」を通り過ぎました。

八柱神社の横の山道を行くと立派な石仏の「二面観音」があると聞いていましたので、
探しに行きました。 芳山(ほやま)の頂上を含め周辺を1時間位かけて、探し
歩き回りましたが、この石仏しか発見できませんでした。

後で、近くの集落の人に聞いたところ、猪除けの鉄作の扉を開けて、さらに進むと
右手の林の中にあるそうです。 私達も鉄作の扉の先にあるのではと思っていましたが、
鉄作の扉の内側に鉄の杭が打ち込んであり、開けることが出来ませんでした。
■遅い昼食(弁当)を食べて、奥山ドライブウェイまで、引き返しました。
「春日山石窟仏」です。

ここから、「春日山原始林」の中を歩いて「若草山」の頂上へ向かいます。
途中にある「鶯の滝」へ立ち寄りました。

滝に寄り道すると、高度を下げて、又登るので結構疲れました。
「若草山」の頂上「3重目」へ到着しました。 若草山は、麓から見えるのが、
一重目であり、その奥に「二重目」があり、その又奥が、最頂上の「3重目」です。
眼下は、奈良平野です。

すぐ先の山が、先ほど歩いて来た「春日山原始林」です。

若草山の二重目より、右下が「東大寺の大屋根」、遠くに「生駒山」です。

若草山の下部からの眺めです。 「東大寺」が近くになりました。

奈良公園に17時過ぎに到着しました。 左が若草山です。
夕暮れに近いのですが、外国人を含めた観光客がたくさんいました。

■JR奈良駅近くの鮮魚専門の「居酒屋」でNさんとビールで乾杯!
Nさんは、来週知人を今日歩いたコースを基本にガイドするそうです。
私は本日、調査のお付き合いをした訳で、代金はNさんがおごってくれました。
Nさん! ありがとう!
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